2010年05月02日
熊野(ゆや)の長藤
「熊野(ゆや)の長藤」
樹齢800年、国の天然記念物長藤がいま見頃をむかえてています。
1日(日)雨の中家族で「行興寺」へ行ってまいりました。あたり一面藤の香りがたち込め、優雅なひと時を過ごしました。もう少しで満開、5月8日頃までは充分に楽しめます。
行興寺 静岡県磐田市池田332-3
平安時代池田宿に、たいそう美しい熊野(ゆや)という娘が暮らしていました。
当時見付の国府に赴任していた平宗盛に見初められた熊野は、やがて望まれて上都します。
京において宗盛と幸せな日々過ごしていた熊野のもとに、母の病の報が届きます。
池田へと戻り母の看病をしたいという熊野の願いを、別れを惜しんだ宗盛は聞き入れてくれません
でした。桜見物の席で、熊野の詠んだ「いかにせん、都の春も惜しけれど、なれしあずまの花やちるらん」和歌に打たれた宗盛はついに池田に返すことを決意いたしました。
母娘は、再会を喜びましたが、母の命は長くありませんでした。まもなく愛する宗盛の戦死と平家滅亡を聞いた熊野は、尼となり静かに生涯を終えました。
熊野が祈りを捧げた庵のあとの行興寺の庭には今も母のために熊野が植えた藤の花が、毎年長い花房をつけています。 (豊田町発行「熊野御前」より)
和の湯から30分
http://goo.gl/hMWpw
樹齢800年、国の天然記念物長藤がいま見頃をむかえてています。
1日(日)雨の中家族で「行興寺」へ行ってまいりました。あたり一面藤の香りがたち込め、優雅なひと時を過ごしました。もう少しで満開、5月8日頃までは充分に楽しめます。
行興寺 静岡県磐田市池田332-3
平安時代池田宿に、たいそう美しい熊野(ゆや)という娘が暮らしていました。
当時見付の国府に赴任していた平宗盛に見初められた熊野は、やがて望まれて上都します。
京において宗盛と幸せな日々過ごしていた熊野のもとに、母の病の報が届きます。
池田へと戻り母の看病をしたいという熊野の願いを、別れを惜しんだ宗盛は聞き入れてくれません
でした。桜見物の席で、熊野の詠んだ「いかにせん、都の春も惜しけれど、なれしあずまの花やちるらん」和歌に打たれた宗盛はついに池田に返すことを決意いたしました。
母娘は、再会を喜びましたが、母の命は長くありませんでした。まもなく愛する宗盛の戦死と平家滅亡を聞いた熊野は、尼となり静かに生涯を終えました。
熊野が祈りを捧げた庵のあとの行興寺の庭には今も母のために熊野が植えた藤の花が、毎年長い花房をつけています。 (豊田町発行「熊野御前」より)
和の湯から30分
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Posted by 遠州 和の湯 at 06:46│Comments(0)
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